●牧野愛博記者プロフィール●
1965年生まれ。91年朝日新聞入社。
瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金客員研究員、ソウル支局長などを経て、2021年4 月より朝日新聞外交専門記者(朝鮮半島・日米関係担当)。
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2017年5月 ポンファマウル
韓国大統領選の投開票日を目前に控えた5月初め、韓国南部・金海市にある烽下村(ポンファ・マウル)を訪れた。ここには、8年前の2009年5月に自ら命を絶った盧武鉉元大統領の生家や追悼施設がある。
釜山市からタクシーで1時間ほど、田園地帯にたくさんの車が止まっているが見えた。家族連れで村を訪れた人々の車両だ。
盧武鉉氏が生まれた藁葺きの生家や、そのすぐ後ろに建つ自宅が見えた。道を挟んで建つ追悼施設には、盧氏が「人権弁護士」として釜山で活動したころから、大統領として活躍した日々まで、数多くの写真に見入る人々の姿があった。
ずっと向こうには、検察の捜査を受ける途中、失意のまま身を投げた岩山も見えた。付近は最近、自然公園に指定されたのだという。
「小さな石を置くだけで良い」という彼の遺言を受け、お墓となった平べったい石には「民主主義の最後の砦は、目覚めた市民の組織された力だ」という盧氏が生前好きだった言葉が彫られていた。
盧武鉉氏ほど、人々の好き嫌いが分かれる政治家はいない。盧氏を支持する人々は、庶民的で不正腐敗を憎み、少数者に優しかった盧氏を熱烈に愛する。盧武鉉氏の自殺を「保守勢力による政治的殺人だ」と言ってはばからない人もいる。
その一方、金持ちや既得権層を激しく攻撃した盧氏を嫌う人もまた多い。「不義とは妥協しない」という政治手法を、「1%の敵を作って、99%を味方につけるやり方だ」と怒る人もいる。
政治の仕事の一つは利益分配だと聞いたこともある。限られた利益を、どうやったら不平不満を一番少なくできるのか、あるいは、どうやったら将来の人々のためになるのかを考えながら、政治家は難しい決断を迫られる。
人間は大変複雑な生き物だから、単純に善と悪を割り切ることも難しい。私も新聞記事で偉そうなことを主張する一方、酒もよく飲むし、完璧な人間とはとても言えない。
否が応でも、不条理な世界に生きなければならないこともある。知り合いの韓国人は「度を超した受験戦争が良くないことはわかっている。でも、自分の子どもに勉強しないで良いとはとてもいえない」と嘆いていた。
今、韓国の人々には、かつてないほど政治への期待が高まっている。烽下村を訪れた人々も、「積弊(チョクペ。積み重なった旧来の弊害のこと)を清算してほしい」と訴えていた。
これから、韓国は新しい姿に生まれ変わろうとしているが、様々な衝突や葛藤も生まれるだろう。人々全てが満足できる世の中を作ることは本当に難しい。盧武鉉氏の墓前でそんなことを考えた。
(朝日新聞社 牧野愛博)