●牧野愛博記者プロフィール●
1965年生まれ。91年朝日新聞入社。
瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金客員研究員、ソウル支局長などを経て、2021年4 月より朝日新聞外交専門記者(朝鮮半島・日米関係担当)。
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2017年3月 金正男の死
2月14日夜、ソウル市内で会食をしていると、東京本社から電話がかかってきた。「金正男が死んだという話が出ているが、確認できるだろうか」。半信半疑ながら、先方に謝って会食を切り上げ、取材を始めた。その後の展開は皆さんご承知の通り、暗殺というよりも白昼堂々のテロ行為が、世の中を震撼させた。
私自身は金正男氏と会ったことはない。ただ、今回の事件で、少しだけ金正男氏が救われたと思うことがある。それは世間の間で、正男氏を通して「北朝鮮にも良い人がいるのではないか」という視点が広がっているように感じるからだ。
2002年9月の日朝首脳会談で、金正日総書記が日本人拉致の事実を認めて以来、北朝鮮は「極悪非道」という言葉がぴったり当てはまる存在だった。
金正日総書記とその取り巻きについては全く反論の余地もなく、息子の金正恩委員長については、それ以上の厳しい批判がなされて当然だと思う。
その一方で、在日の人々も含めて、北朝鮮人だからというだけで白眼視される風潮があったことも事実だろう。韓国でも、脱北者の人は「2級国民」という扱いが続いている。
ただ、私がこれまでの乏しい取材で出会った北朝鮮の人々は、私たちと全く同じ人間だった。ほかの北朝鮮の人がいたり、映像が撮られたりしているような場所では、全く公式のつまらない話しかしない人が、別れ際にそっと「仕事大変だね」と耳打ちしてくれたことがあった。空港のロビーで、ほかの人が見ていない隙をみて、本音を語ってくれた人もいた。
もちろん、私たちと同じだから、ずるくて小心な態度も見せる。やっぱり、ほかの人がいない場所で、「タバコをもう少し多めにくれないか」とねだって来た人もいた。脱北者だったが、私に「日本に講演旅行に行きたいのだが、誰か良いスポンサーを教えてくれ」とせがんできた人もいる。でも、これは日本や韓国でもお目にかかる風景だと思う。
金正男氏は、彼と会った人の話によれば、英語は勿論、中国語もフランス語も流暢で、世情に明るい、スマートな人だったという。海外暮らしが長かったし、すでに指導者になる可能性はなかったから、そのような一面を見せたのかもしれない。「もし北朝鮮の指導者になっていたら、全く別の人間になっていただろう」と語る専門家の人もいる。
それでも、北朝鮮にはこういう人もいるのだ、という事実が、今回の悲劇を通じて世の中の人に知られたことは、せめてもの慰めだったのではないか。
私の住むソウルから北に60キロも行けば、もう北朝鮮だ。そんな近くで、金正男氏と同じように苦しんでいる人がいることを忘れないことも、亡くなった彼への手向けになると思う。
(朝日新聞社 牧野愛博)