●牧野愛博記者プロフィール●
1965年生まれ。91年朝日新聞入社。
瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金客員研究員、ソウル支局長などを経て、2021年4 月より朝日新聞外交専門記者(朝鮮半島・日米関係担当)。
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2019年5月
北朝鮮の教科書
先日、北朝鮮が義務教育で使っている教科書20冊を手に入れた。数学や地理、英語のほか、最高指導者の業績を称えるための科目もあった。韓国で起きた旅客船セウォル号の沈没事故や、朝鮮半島で1919年に起きた「3・1独立運動」などにも触れた興味深い内容だった。
その一方、目を引いたのが、教科書そのものの状態だった。北朝鮮で流通している紙の質は非常に悪い。一昔前のざら紙のような手触りだ。教科書には、北朝鮮が過去に打ち上げたと主張する人工衛星の写真も載っていたのだが、白黒のうえ、質の悪い紙に印刷されているので、映りがぼやけてしまっていた。
表紙はかろうじてカラーだが、ペラペラの紙で、いつ破れてもおかしくないようなできだった。
ところが、私が手に入れた20冊の教科書のうち、どれ一つ破損したものはなかった。もちろん、私に提供してくれた関係者が、綺麗な教科書だけを選んでくれたのかもしれない。いや、「大切に使わなければいけない」という生徒や先生。両親たちの気持ちがそこには宿っていた。
教科書の縁は全て、テープで補強されていた。いくつかの教科書の最後のページには、図書館の閲覧者記録のように、その教科書を使った期間と使用者の名前を書き込む欄があった。落書きなどの汚れもなかった。
紙が貴重なように、北朝鮮では教科書や文具も不足している。かつて話を聞いた教師出身の脱北者の話によれば、たとえ義務教育であっても、教科書が全ての児童生徒に行き渡らないことがままある。教科書が不要になったら、下級生に回さなければならない。もし、誤って破損させた場合、市場に行って同じ教科書を買ってこなければならない。とても高くつくから、親は常に「教科書を大事に使いなさい」と教えるという。
北朝鮮の当局者は今も「我が国の教育は無償だ」と胸を張るが、これは真っ赤なウソだ。教科書はタダなのかもしれないが、父母らは薄給の教師を食べさせるために差し入れをするし、学校で必要な物資、運動や音楽器具から学校施設の補修資材までをカンパする。教師は子どもの手のひらに、必要な資材と割り当ての量を書いて家に帰すこともあるのだという。子供たちは授業以外に、軽労働に動員されることもある。
そんな大変な状況のなかで、大事に使われた教科書だったと思う。北朝鮮に比べ、日本や韓国の子供たちは、学校以外に塾にも通い、受験戦争に追われて大変だと思うけれど、教科書が足りなくて困るということはないだろう。北朝鮮の教科書を手に取りながら、この教科書で学んだ子供たちのことが目に浮かんだ。
(朝日新聞社 牧野愛博)