●牧野愛博記者プロフィール●
1965年生まれ。91年朝日新聞入社。
瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金客員研究員、ソウル支局長などを経て、2021年4 月より朝日新聞外交専門記者(朝鮮半島・日米関係担当)。
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2016年9月 リオ五輪と韓国
今年の夏、ソウルは東京と同様、リオデジャネイロ夏季五輪で盛り上がった。目標だった「金メダル10個」にはわずかに届かない「金9個」だったが、感動的な話がいくつもあった。
たとえばアーチェリー。多くのメダルを韓国にもたらした「孝行者競技」(韓国では、お家芸をこう表現する)だが、その裏には徹底した実力主義と科学主義があったのだという。
G20の仲間入りを果たした韓国だが、社会の見えない部分で、まだまだ「地縁」と「学閥」が幅をきかせている。時の政権が代わるたび、政治任用される政府当局者の出身大学や出身地ががらりと変わるのはその一例だ。
スポーツ界でもかつて、韓国のサッカーが低迷した時期があったが、特定の大学出身ばかり監督に選び、その監督が自分の母校と関係の深い選手ばかりを起用するからだ、という社会的な批判を浴びた。
アーチェリーでは、何千回も試技をさせて、その結果だけで選手を選んだという。同時に、横風が吹いたときの軌道の修正を科学的に実験もした。リオ五輪と同じ会場を建設し、そこに全観客が相手選手を声援するという状況を作り出して、精神的なプレッシャーの中でも選手が活躍できるよう訓練もしたという。
これを、「だから韓国は駄目だ」と笑い飛ばすことは簡単だ。しかし、実は同じような事が日本でも起きていた。
今回の五輪バドミントン複合女子で、日本に初めての金メダルをもたらした、韓国の朴柱奉監督に話を聞く機会があった。朴監督はバルセロナ五輪の金メダリスト。英国やマレーシアの代表監督を務めた後、2004年から日本代表監督として活躍している。
04年当時、日本は韓国の後塵を拝していた。金や銀のメダルを量産する韓国に対し、日本は世界大会で1回戦を突破するのがやっとという有り様だった。
朴監督が最初に改革したのが、実業団本位の体質を代表中心に切り替えることだったという。
「当時、選手の給料を出すのは実業団だからという風潮があった。日本代表の監督も実業団の監督が兼ねていた。代表チームで、監督は自分の所属チームでない選手が負けて帰ってきても、ただ、お疲れ様、と声をかけるだけ。選手も笑ってやり過ごしていた」
朴監督の訴えが実り、日本代表は今では年間110日も合宿し、120~130日も海外遠征するようになった。それが今回の金メダルに結びついたという。
朴監督は言う。「今回、韓国の成績は良くなかったが、韓日の実力は紙一重ですよ」。4年後の東京で日韓の名勝負を見てみたい。
(朝日新聞社 牧野愛博)