●牧野愛博記者プロフィール●
1965年生まれ。91年朝日新聞入社。
瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金客員研究員、ソウル支局長などを経て、2021年4 月より朝日新聞外交専門記者(朝鮮半島・日米関係担当)。
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2018年7月 キャンプ・ハンフリーズにて
バスの車窓から様々な風景が目に飛び込んできた。ウォータースライダーやコンサート用舞台があるプール、小学校や高校の校舎、立派な2階建ての一戸建て群や高級マンション、野球場にゴルフ場、大型のショッピングモール。そのどれもが新しい。一見すればどこかの小都市のようでもあるが、道行く人のほとんどは軍服を着用し、そこここに軍用の車両やヘリの姿が見えた。
ここはソウルから南に80キロほど離れた京畿道平沢市にある米軍基地キャンプ・ハンフリーズ。6月29日、ソウル中心部の竜山基地から移転してきた在韓米軍司令部の開所式が行われた。
敷地面積は約1500万平方メートル。東京ドームが300個以上も収まる広さ。ここには2021年までに平沢市の人口の9%弱にあたる4万3千人の米軍人らと家族が住むという。大型のショッピングモールには、色々なレストランも入っているし、病院もある。日常生活はここで全部用が足りる。一戸建て住宅は将軍らが住むが、マンションも立派な作りだ。一緒に取材に出かけた支局の韓国人記者が「僕が徴兵されたときは、大部屋に雑魚寝でしたよ。いまはさすがに、2段ベッドで何人かが一緒に寝起きしているスタイルですが、それにしても米軍の待遇とは違い過ぎる」と目を丸くしていた。
私の住むアパートはこの日まで在韓米軍司令部があったソウルの竜山基地のすぐ隣にある。もともと、日本統治時代には旧日本軍の基地が置かれていた。その後米軍が進駐し、朝鮮戦争を経て1957年から、ここに在韓米軍司令部がずっと置かれていた。何度か敷地内に入ったことがあるが、旧式の建物が多く、日本統治時代のものをリモデリングして使っている施設もあると聞いた。平沢の基地ほどではないが、それでも5分の1ほどの広さがある。ここは間もなく韓国に返還され、市民公園になる。何となく戦争のにおいが遠ざかったようで、それはそれで結構なことのように思うけれど、世の中はそんなに甘くはない。
新しい在韓米軍司令部は、北朝鮮の脅威だけではなく、アジア全体の紛争に備えることになると言う。平沢は朝鮮半島西側の黄海のすぐそばにあるし、米空軍烏山基地も隣接している。いざというときに、朝鮮半島の外に展開できるように備えているのだろう。
では「戦争は良くないことだから、米軍には出て行ってもらいましょう」となれば物事は解決するのだろうか。「米軍が出て行けば、北朝鮮や中国は、韓国を信用して攻撃することはない」と断言できる人もまずいないだろう。
この日の取材陣のなかに、中国系メディアはいなかった。米側が立ち入りを拒んだようだった。7月で朝鮮戦争が休戦してから65年になるが、世の中は簡単には変わらない。
(朝日新聞社 牧野愛博)