●牧野愛博記者プロフィール●
1965年生まれ。91年朝日新聞入社。
瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金客員研究員、ソウル支局長などを経て、2021年4 月より朝日新聞外交専門記者(朝鮮半島・日米関係担当)。
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2022年9月
韓国人に愛された外交官の死を悼む
日本外務省には「コリアンスクール」と呼ばれる朝鮮半島専門家の人々がいる。その一人で、私が大好きだった森本康敬・前駐ソロモン諸島大使が8月22日午前、都内の病院で亡くなった。65歳だった。何人もの韓国の知人から哀悼する言葉を聞いた。
私が森本さんを好きだったのは、誠実な人柄と功にはやらない姿勢に共感したからだ。森本さんは1990年9月の金丸信元副総理らの訪朝、2002年9月の日朝首脳会談をお膳立てするための秘密協議など、数多くの外交の現場に立ち会った。新聞記者たちは当然、森本さんに群がった。森本さんは外交機密について明かすことはしなかったが、会談の雰囲気などを丁寧に説明してくれた。日朝首脳会談を巡る秘密交渉で、「ミスターX」と呼ばれた北朝鮮の柳敬・国家安全保衛部(現・国家保衛省)第1副部長は、「タバコも吸わず、高級ワインの知識が豊富だった」と、森本さんから教えてもらったことがある。
世の中には功名心にはやる人が大勢いる。かつて内閣官房副長官に就任した政治家は、やたらと外遊をしたがった。そこで、各国の要人と会い、写真を撮りまくった。そして、その「写真集」を自分の地元の後援会や政治資金パーティーでデカデカと貼り出して、自慢した。外務省の知人は「各国要人は、この人のことを知らない。こちらは、首相の重要な相談相手だから、などとなだめすかして会ってもらった」とぼやいていた。
そこまでひどくはないが、自分の功績を「盛る」人もいる。あるとき、日米で利害が衝突する事件が起きた。日本がA国との間で進めていた秘密の外交案件があった。うまく行くかと思われた矢先、米国がA国と衝突した。A国は怒り、「米国の同盟国だから」という理由で日本との外交交渉を打ち切った。私は当時、A国との外交交渉を担っていた外務省高官に取材した。この高官は「A国と衝突した米国の外交官は僕の友人なんだよ。友人は米本国からは評価されたそうだ。米国とA国が衝突したというニュースを聞いて、僕は台所のファンを回してタバコを吸いながら、友人におめでとうとつぶやいたんだ」と語っていた。ところが後年、私がこの米国の「友人」に会って話を聞く機会があった。「友人」はこの件について、日本外務省高官から、ひどく恨まれたと語った。同時に、米国は、日本がA国との間で進めていた秘密交渉についても事前に知っていた。この米国の「友人」は、「日本外務省は秘密を守りきったと思っていたようだが、そんなことはない。私たちは全て知っていたが、あえて邪魔をしなかっただけだ」と話した。
こういう人々と比べ、森本さんは決して、自分の「功」を自慢することをしなかった。2017年、森本さんは釜山総領事時代、当時の安倍晋三政権を批判したとして、その任を解かれたことがあった。森本さんから詳細な話を聞いたが、とんでもない「濡れ衣」だった。「政治家たちのスタンドプレーで、人生を狂わされてもいいんですか」と息巻く私に、森本さんは「私がぶちまけたら、コリアンスクールの後輩に迷惑がかかる。私が黙っていれば済む話だから」と語っていた。その末のソロモン諸島大使への赴任だった。
森本さんの余りにも早すぎるご逝去は 「惜しい人ほど早く逝く」という言葉を実感させられる痛恨事だった。
(朝日新聞社 牧野愛博)