●牧野愛博記者プロフィール●
1965年生まれ。91年朝日新聞入社。
瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金客員研究員、ソウル支局長などを経て、2021年4 月より朝日新聞外交専門記者(朝鮮半島・日米関係担当)。
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2023年11月
日本最古の陸軍墓地
10月28日、大阪市にある真田山旧陸軍墓地を訪れた。この日は、年1回行われる慰霊祭の日だった。真田山の由来は、戦国武将の真田幸村が大阪冬の陣で築城した真田丸に由来する。ここは、1871年に作られた日本最古の軍用墓地だ。約1万5千平方メートル(創設時は約2万8千平方メートル)の敷地には、西南戦争や、日清・日ロ戦争、満州事変、第二次大戦などで死亡した兵士ら5091基以上の個人墓碑がある。納骨堂には8249人分の遺骨が納められている。全国にはこのほか、主な旧陸軍墓地が約80カ所存在するという。
私が墓地を訪れたのは、「真田山陸軍墓地維持会」の吉岡武常務理事に会いたかったからだ。吉岡さんは1937年11月生まれ。自宅は墓地から徒歩1分の場所にある。ずっと墓地を見守ってきた語り部だ。
吉岡さんによれば、墓地の歴史は日本の歴史そのものだという。戦前、墓地は高いコンクリートの壁に囲まれ、近寄りがたい厳かな雰囲気に包まれていたという。「門兵が立ち、一般の人が自由に立ち入ることはできませんでした」。戦争直後、墓地は荒れるに任せていた。敷地内には野宿者や野犬がうろつき、危なくて近寄れない雰囲気だったという。国有地のままだったが、土地は大阪市に無償貸与された。「自治体は祭祀に関与しない方が好ましい」という通達も出た。戦後、遺族などが中心になって初めて慰霊祭が行われたのは1952年のことだった。
吉岡さん自身も45年6月午前の空襲で家を失った。両親と弟、妹2人の計6人で火の手が迫るなか、必死で逃げたという。「青空だったのに、炎と煙で夕方のようになりました。生駒山からB29爆撃機が超低空で迫ってくるのが見えました。足がすくんで、思わずしゃがみ込んだのを覚えています」。吉岡さんは「戦争には100%反対です」とも語る。
吉岡さんは同時に、墓地について教えない風潮にも違和感を持ったという。「近所の小学校でも教えない。先生も詳しく語れない。みな、戦争から目を背けてきました。国のために亡くなった方々に感謝するのは当然ですが、墓地をもっとよく知り、伝えることが平和をつなぐことになるのではないかと考えるようになりました」
「平和を守るためには軍備は必要です。ウクライナやガザの状況をみても、どこかで、海外のこと、人ごとだと思っている日本人が多いのではないでしょうか」。一方で、「自衛隊に感謝するのは当然ですが、褒めそやすべきではありません。自衛隊は必要ですが、侵略には反対です」とも語る。「みんな、意見を言うのは自由ですが、事実に基づいているかどうかが大切です。事実を知ることが平和につながるのです」。日本人は過去、右と左の間で極端に振れる歴史を繰り返してきた。吉岡さんは86歳になるが、これからも、見学を希望する人には都合がつく限り、墓地を案内するという。
朝日新聞社 牧野愛博(よしひろ)