
●牧野愛博記者プロフィール●
1965年生まれ。91年朝日新聞入社。
瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金客員研究員、ソウル支局長などを経て、2021年4 月より朝日新聞外交専門記者(朝鮮半島・日米関係担当)。
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2025年3月
ベトナムと日本
戦後教育の違い
2月、ベトナム・ハノイに出張した。4月にベトナム戦争終結50年を迎えるため、戦後のベトナムの人々の外交や教育などを取材しようと考えたからだ。昨年11月に新たに開館したハノイ郊外の戦争博物館を訪れた。
戦争博物館では主に、抗仏独立闘争(1946~54年)とベトナム戦争(1955~75年)について大きな展示スペースを割いていた。雨が降りしきる平日の午後だったが、博物館には高校生に見える学生の集団や若い兵士の集団、あるいは軍服に身をまとったお年寄りの姿が目立った。同行してくれた29歳のベトナムの知人男性が「学生や兵士は教育用、お年寄りは参戦したときの思い出を確認するために来ているのでしょう」と教えてくれた。ベトナム戦争のコーナーを2時間かけて見て回った。旧ソ連から支援を受けたミグ21戦闘機や、1975年4月30日に南ベトナム大統領官邸に突入した戦車などが展示され、戦史を忠実にベトナム語と英語で説明していた。
見て回りながら、いくつか不思議な感覚に襲われた。まず、日本人が「ベトナム戦争」で思い出す定番の写真が全くなかった。「ナパーム弾の攻撃を受けて裸で逃げる少女」「南ベトナムの警察署長がベトコン司令官の一人を銃殺した瞬間」、写真家の沢田教一が撮影した「安全への逃避」など一切ない。いずれも、ベトナム戦争の悲惨な状況を世界に知らせ、反戦運動の原動力になった写真ばかりだ。ベトナムの知人は「そんな写真見たことないですね」と語る。「関係を改善した米国を気遣っているんじゃないでしょうか」とも話す。南部のホーチミン市には、戦争被害を強調する博物館もあるそうだが、ここでは主に「戦争での勝利」を強調したい狙いがあるからだろう。戦争の悲惨さを伝え、反戦を誓う、日本の博物館などでの展示内容とは大きく異なる。
ベトコンとして戦ったベトナム女性たちの写真、あるいはベトナムの学生たちが当時作った「米国はベトナムから出ていけ」と書かれた横断幕なども多数展示されていた。知人は「ベトナム戦争で、米国は兵士だけが戦いました。でも、ベトナムでは兵士だけではなく全国民が参加したから、勝てたのです。それは正義の戦争だったからでしょう」と話してくれた。これも、日本にはない感覚だ。私が「日本では、戦争が起きたら戦うと答える人はあまりいないですよ」と話すと、知人は不思議そうな顔をした。「日本では国を守るという教育をしないんですか」と逆に質問された。知人の外交官はかつて私に、日本が平和主義外交を推進した背景には「侵略国だった負い目がある」と教えてくれたことを思い出した。知人は「博物館に来ると、感動します。みんなのおかげで、今の自分が生かされているのだと実感します」と話してくれた。これも、あまり日本では聞かない感想かもしれない。国にはそれぞれの歴史や背景があるので、どちらが正しいとは即断できないだろう。
ウクライナでは今、ロシアとの停戦協議の話が急浮上している。一部に「だから日本は早期停戦をもっと主張すべきだったのだ」という声もある。でも、ウクライナと日本では事情も違うし、ゼレンスキー大統領がキーウにとどまったからこそ、ロシアに全土を蹂躙されることを防いだとも言えるのではないか。ベトナムの博物館でそんなことを考えた。
朝日新聞社 牧野愛博(よしひろ)





















朝日新聞取材裏話2025年4月


