●牧野愛博記者プロフィール●
1965年生まれ。91年朝日新聞入社。
瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金客員研究員、ソウル支局長などを経て、2021年4 月より朝日新聞外交専門記者(朝鮮半島・日米関係担当)。
※お願い※
取材裏話を寄稿してくださる牧野記者が、皆様の感想を楽しみにしております。是非、ご感想・ご意見・ご要望をお寄せください!牧野記者にお届けいたします。
牧野記者へお便り
2023年8月
テレビの魔力
夏の暑い日の午後、知人が汗だくになって、待ち合わせのカフェにやってきた。20年以上の付き合いがある安全保障の専門家だ。何度もインタビューしたし、一緒に研究活動をしたこともある。ただ、ここ2年ほど会って話をしていなかった。新型コロナウイルスのせいもあるが、知人の生活が一変したことが原因だった。ロシアによるウクライナ侵攻で、知人がテレビに引っ張りだこになったからだ。朝日新聞の後輩たちも次々に取材をお願いするようになり、なんだか気が引けて、しばらく顔を見ていなかった。
久しぶりに会おうと思ったのは、知人がしばらくメディアに出られなくなると聞いたからだ。知人の職場の関係で、これからしばらくは安全保障分野でのコメントを実名では出せなくなるのだという。彼は以前も同じような人事異動を経験していたが、そのときはそんな制約はなかったという。テレビ出演を重ねるうちに知名度が上がり、それだけ社会的な影響力が強まったというのが理由らしい。
お互い、汗を拭きながら、冷たいものを頼んだ後、私は「テレビには結局、何回出演したの」と聞いた。知人はクリームソーダのアイスクリームをほお張りながら答えた。「600回だよ」。ロシアによるウクライナ侵攻が始まったのは2022年2月。1年半のうちに600回ということは、ほぼ毎日、テレビに出ていたことになる。「随分、家計も助かった」という。お茶の間で顔を覚えられたからか、道すがら、知らない人から声をかけられることも増えたという。
私はつい、深い考えもなく、「せっかく顔が売れてきたのにもったいない。人事断れなかったの」と聞いた。知人は「いや、テレビ中心に人生を回すのはどうだろうかと思ったんだ。それより、自分しかできない研究がある。そちらを一生懸命やるために、テレビとは少し距離を置くのも悪くないと思った」と答えた。人事も断ろうと思えば、断れたが、敢えてそうしなかったという。
自分もごくたまにテレビに出ることがある。スタジオでまさにスポットライトを浴び、司会者から専門家扱いされ、それが全国に流れる。昔からの知り合いなどからも「テレビ見たよ」と連絡が入り、まるで自分がえらくなったかのような錯覚に陥る。これが「テレビの魔力」だろう。テレビに出たくて自分の日程をテレビ中心にしてしまった政治家、テレビ出演が増えて芸能事務所に入った大学教授、すっかり論文を書かなくなった研究者など、散々テレビに振り回される人々を見てきた。
もちろん、テレビ業界は冷酷だ。尊敬や感動でゲストを呼ぶわけではない。視聴率で全てを決めている。ウクライナだって、コロナのように、いつかは世間の関心が薄れる時がやって来る。私は「もったいない」という情けない言葉を発してしまった自分を恥じつつ、知人の再出発を祝った。
朝日新聞社 牧野愛博(よしひろ)