●牧野愛博記者プロフィール●
1965年生まれ。91年朝日新聞入社。
瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金客員研究員、ソウル支局長などを経て、2021年4 月より朝日新聞外交専門記者(朝鮮半島・日米関係担当)。
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2022年3月
指導者の服装
ロシア軍が2 月24日、ウクライナに侵攻した。
ウクライナのゼレンスキー大統領は、あるときはノーネクタイ、あるときはジャンパー姿で「自分は首都のキエフにとどまる」「戦える人は一緒に戦おう」と訴えた。昨年8月、イスラム主義勢力タリバンの攻勢に耐えきれず、すぐに国外に逃れたアフガニスタンのガニ大統領(当時)と対照的な姿だ。必死に戦っている様子をうかがわせるゼレンスキー氏の服装は、世論を一つにまとめる大きな効果がありそうだ。
ゼレンスキー氏ほど、緊急事態に直面したケースではなくても、世界の政治家は服装に気を配ってきた。米国の大統領選では「勝負ネクタイ」として、赤いネクタイをするという話も有名だ。日本の政治家は災害時、よく防災服を着て登場する。これもひとつの「危機意識」の表現というところか。
昔は、外相などを務めた自民党の渡辺美智雄氏が選挙になると、大量の安い靴を仕入れ、選挙カーに積んで遊説に出かけたという話を聞いた。渡邊氏は、田畑で農作業している人がいると、そこが田んぼであろうがなんであろうが、革靴のまま飛び込んで駆け寄ったという。人々は「偉い先生が、こんな場所にまでやってきてくれて」と感激し、大いに支持者を増やしたという。そして次の場所に移る途中で靴は履き替えるという寸法だったそうだ。
小泉政権で外相をやった田中真紀子氏も独特のスタイルだった。当時は世界同時多発テロなどもあり、田中外相は毎日、国会答弁に出ずっぱりという状況だった。田中氏はわざと同じ服装を続けることがあった。テレビを見ていた人々は「なんて庶民的な人なんだ」と感心し、やはり田中氏の人気は上がったという。
民主主義国家では、どの政治家も選挙の洗礼を受ける。どんなに優秀で立派な人でも、選挙で勝たなければ、ただの人になってしまう。服装への気配りは、「一票でも多く支持を得たい」という思いの表れとも言える。
一方、自由な選挙なんて存在しないのに、服装に気を遣っている指導者がいる。北朝鮮の金正恩朝鮮労働党総書記だ。権力を継承して10年が経った。普段は人民服を着ているが、折に触れてスーツ姿になる。過去には麦わら帽子にシャツ姿で現地指導したこともある。祖父の金日成主席が主にスーツ、父の金正日総書記が主にジャンパーを、それぞれ愛用したこととは対照的だ。正恩氏は、市民の眼に自分がどう映っているのか気になるのだろう。
数年前、平壌にある靴工場を訪れた北朝鮮の専門家がいた。靴工場の支配人は専門家に、金正恩氏が訪れたときのエピソードを語った。支配人は失礼がないよう身だしなみを整えて出迎えたが、正恩氏の靴はすり切れていた。支配人は「身を粉にして働く素晴らしい指導者です」と説明したという。この専門家は「明らかに創作。指導者の靴がすり切れていたら、側近の責任問題になるから」と話していた。
北朝鮮が将来、ウクライナのように大国に攻め込まれたとき、正恩氏はゼレンスキー大統領のように振る舞うことができるだろうか。
(朝日新聞社 牧野愛博)