●牧野愛博記者プロフィール●
1965年生まれ。91年朝日新聞入社。
瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金客員研究員、ソウル支局長などを経て、2021年4 月より朝日新聞外交専門記者(朝鮮半島・日米関係担当)。
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2022年1月
荻外荘にて
去る2020年12月8日は、真珠湾攻撃から80年という節目だった。当時、東京では提灯行列ができ、戦勝に沸いたという話を聞いていた。それから3年余で東京は大空襲を受けた。あの頃は、世の中に流れる情報量が圧倒的に少なかったから、市井の人々は敗北を予想できなかったということだろうか。では、スマートフォン1台で世界中の情報を集められる現代なら、あのような悲劇は起こらないということなのだろうか。
そんなことを考え、JR荻窪駅に近い荻外荘を訪れた。かつての首相、近衛文麿(1891~1945)が1937年から45年までの間をここで過ごした。日独伊三国同盟締結につながる荻窪会談(1940年7月)や、対米開戦の回避を模索した東条英機陸相らとの荻外荘会談(41年10月)など、日米開戦につながるさまざまな節目の舞台だ。山本五十六連合艦隊司令長官が40年9月、対米戦の見通しについて「それは是非やれと云はれれば、初め半年か1年の間は随分暴れて御覧に入れる。然しながら、2年3年となれば、全く確信は持てぬ」と近衛に語った場所でもある。
近衛は日米開戦の日、「えらいことになった。僕は悲惨な敗北を実感する。こんな有様はせいぜい2、3ヶ月だろう」と沈痛な表情で周囲に漏らしたという。「この戦争は負ける。どうやって負けるか、お前はこれから研究しろ、それを研究するのが政治家の務めだ」とも語っていた。近衛文麿は盧溝橋事件当時、軍部を抑えるために敢えて戦争拡大を叫び、日本を中国との泥沼の戦争に導いたことがある。蔣介石を侮り、中国とまともな外交も行わなかった。「米国は大国だから、南部仏印への進駐を理解してくれるだろう」と考え、日米開戦への大きな契機となる米国による石油の対日全面禁輸という事態を招いた。
近衛のように、本心は戦争に反対でも、その場その場の空気に流されたり、国際情勢を読み間違えたりして、戦争に突き進んでしまうことはありうる。日米開戦の日、最初の大本営発表を聞いた市民の間では緊張した空気が流れたが、「大戦果」という報道が加わり、初めて狂喜したという。むしろ、詩人の高村光太郎ら知識人たちは「同じアジアで争うよりは大義がある」として最初から歓迎したという。
この複雑な空気が、今再び世の中に流れ始めている気がする。米国と中国との緊張が高まっている。日本の安全保障には法制度も防衛装備も足りない点が多く、改善が必要だという主張には賛成する。憲法改正も必要かもしれない。ただ、必要以上に中国をあざけり、外交を軽視する声もまた多い。最近では、岸田内閣を「媚中内閣だ」と誹謗する声がその一つだ。真珠湾攻撃から流れた80年という月日は、ちょうど人間の寿命に相当する。人間は未経験の事態に遭遇すると、先代の知恵や教訓を忘れて同じ失敗を繰り返すらしい。
(朝日新聞社 牧野愛博)