●牧野愛博記者プロフィール●
1965年生まれ。91年朝日新聞入社。
瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金客員研究員、ソウル支局長などを経て、2021年4 月より朝日新聞外交専門記者(朝鮮半島・日米関係担当)。
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2021年2月
新大久保の事故から20年
1月26日は、JR新大久保駅で、線路に転落した日本人を助けようとした韓国人留学生、李秀賢さん(当時26)らが亡くなって20年にあたった。当日、本当であれば、誰よりも現場を訪れたいと思っていた人の姿はなかった。釜山市に住む母、辛潤賛さんは本来、前日の25日に来日するスケジュールを組んでいた。在釜山の日本総領事館も、辛さんから訪日の申請があれば、全面的に支援する考えでいた。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大で訪日は実現しなかった。
20年前、事故があった夜、辛さんと夫の李盛大さんのところに連絡があった。両親の気持ちを考え、「李秀賢さんが大変な事故に遭った」と伝えるだけにとどめた。辛さんにとって初めて訪れる日本だったが、気が動転し、当時のことは、はっきり覚えていないという。李秀賢さんの死を受け入れられず、何度も何度も、李さんの携帯に電話をかけ続けた。
当時、その悲しみをどこにぶつけて良いのかわからなかった。事故現場を訪れれば、「先進国と言われていた日本なのに、なぜ安全に気を配った設備がなかったのか」という恨みの気持ちが芽生えた。事故からしばらくして、李秀賢さんの知人が訪ねてきて、「お母さんが嘆き悲しむことを、秀賢は望まないと思う」と励ました。それから、前向きに生きることを考え始めたという。
もちろん、深い傷が一朝一夕に癒えるはずもない。辛さんは「道で幼い子を見れば、小さかった頃の秀賢を思い出した。30代の人を見れば、秀賢が生きていたらこのくらいになっていただろうとも思った」と振り返る。
傷ついた心を慰めてくれたのは大勢の日本人だった。辛さんは「(ご夫婦へのお見舞い金を元に設立された)奨学会に寄付してくれた人、現場で一緒に泣いてくれた人、心配して今でも手紙をくれる人。日本の人たちには感謝の気持ちしかない」と話す。
もちろん、それは辛さんと19年3月に亡くなった夫、李盛大さんの人柄に負うところも大きかった。2人は釜山を訪れた日本人が面会を依頼すれば、自分たちの体が空いている限り、すべて応じた。韓国の人々は日本が好きだが、過去の歴史などがからみ、公の席でそれをはっきり口に出すことがはばかられる雰囲気がある。日韓関係が悪化した最近は特にその風潮が強まっている。それでも、ご夫婦は日本を理解し、日韓の交流を呼びかける発言をやめなかった。
日本を訪れることができなくなった辛さんに電話をしたら、「最近、韓国でも秀賢を紹介する本が出版されました。少し前に、秀賢と夫が眠るお墓に供えてきました」と話してくれた。事故から毎年、命日と10月にある奨学金授与式には必ず訪日していただけに、大変残念なお気持ちだっただろう。
辛さんとお話をする機会があると、必ず「人を愛する気持ちが大切だ」という話をされる。あれだけつらい思いをされた人の言葉には重みがある。人を憎む気持ちは、自分自身をも傷つける。そんなことを辛さんから改めて教えられた。
(朝日新聞社 牧野愛博)