●牧野愛博記者プロフィール●
1965年生まれ。91年朝日新聞入社。
瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金客員研究員、ソウル支局長などを経て、2021年4 月より朝日新聞外交専門記者(朝鮮半島・日米関係担当)。
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2025年5月
フィンランドと日本
中曽根首相ならどう考えるか
北欧・フィンランドが4月、対人地雷全面禁止条約から脱退する方針を表明した。対人地雷は兵士だけでなく、無差別に民間人にも被害を与える兵器として知られている。2024年の報告書によれば、23年に地雷で死傷した人の83%が民間人で、37%が子供だった。フィンランドの条約からの脱退方針は、人権団体を中心に激しい批判にさらされた。
最近、フィンランドに出張した専門家の知人に話を聞くと、「フィンランドもそのような批判が出ることは十分理解していた」と教えてくれた。フィンランド国内でも「国際的な約束を守るべきではないか」「国際的な信用が落ちてしまうのではないか」といった声があり、散々悩んだ末での決定だったという。世論も条約離脱方針を支持している。
その理由は、フィンランドが「80年前のウクライナ」だからだという。フィンランドは旧ソ連との間で冬戦争(1939~40年)と継続戦争(41~44年)を経験した。冬戦争で敗北した後、復讐を誓ったフィンランドはナチスドイツと組んで継続戦争を戦った。しかし、ナチスが独ソ戦に敗れ、フィンランドも再びソ連に敗れた。フィンランドは領土の1割を失い、ソ連と友好条約を結ぶことで何とかワルシャワ条約機構には入らずに済んだが、長く中立政策を取った。ソ連と友好的な人物でなければ政治指導者になれないという、事実上の内政干渉も被った。
フィンランドも好き好んでソ連と付き合ったわけではない。戦後公開されたフィンランド政府の文書によれば、1950年代からフィンランドはソ連を仮想敵国として備えを固めていた。1991年にソ連が崩壊した後、ドイツやスウェーデンが「平和の配当」として徴兵制を廃止した後も、フィンランドは徴兵制を続けた。スターリンも第2次大戦後、フィンランド代表団と会ったとき、「フィンランドは森と沼地しかないところに国を作り、我々と執拗に戦った。ベルギーは文明の国と言われていたのに戦わなかった。ベルギーにフィンランドが存在していたら、ドイツと全力で戦っただろう」と語り、フィンランド人の国を守ろうとする強い意思に敬意を表したという。
そんなフィンランドだからこそ、トランプ米政権によるロシアとウクライナの停戦交渉の行方をハラハラしながら見守っている。米国が欧州の安全保障に関与しなくなる可能性についても憂慮している。「ロシアがウクライナの次に狙うのは、フィンランドかバルト三国、ポーランドだ」という指摘は欧州の安全保障専門家の共通した認識になっている。フィンランドは1340キロの国境線を、経験が浅く練度が決して高くない徴兵制の28万の兵士で守らなければならない。対人地雷全面禁止条約は苦渋の決断だった。
冷戦当時の1983年夏、当時の中曽根康弘首相が参院選公示日の第一声で、「何もしないでいると、フィンランドのようにソ連にお情けを請うような国になってしまう」と演説した。在日フィンランド大使館が「事実を反映していない」などと外務省に申し入れ、中曽根首相がフィンランドのソルサ首相に、事実上、発言を撤回する親書を送ったという。
中曽根首相はレーガン米大統領と「ロン・ヤス関係」を築き、日米同盟の強化にまい進した人物だった。当時は日米同盟が「最適解」だったからこその「失言」だったのだろう。トランプ政権が迷走し、日米関係が揺れている今、「フィンランドのような国」にならなければいけないのは、私たちなのかもしれない。
朝日新聞社 牧野愛博(よしひろ)